水心子正秀

水心子正秀は、江戸後期に活躍した刀工で「刀剣懐古論」の提唱者。大慶直胤、源清磨らと合わせて江戸三作の一人である。生まれは、出羽国で本名は川部儀八郎といった。

刀工を志し、明和八年、二十二歳で武蔵国八王子の宮川吉英に入門し「下原派」の技術を習得する。出羽国に帰国したのち、安永三年、山形城主秋元永朝にお抱え刀工として出仕する。

この頃から「水心子」の号を使い始める。天明元年に出府し、日本橋浜町にあった秋元家中屋敷にて作刀を再開。同時に「刀剣実用論」「刀剣武用論」などの理論書を執筆し「相州伝」「備前伝」を研究。このときの研鑽が「刀剣懐古論」の提唱に繋がっていった。

作風は、当時流行していた華美で反りの浅い刀姿に反して、古刀の趣のある反りが深い実用本位の刀剣が特長といえる。「刀剣懐古論」は、多くの刀工の共感を得て作刀技術の主流となっていく。

この流れの中で製作された刀剣を「新々刀」と称する。代表作は、特別保存刀剣「刀 銘 水心子正秀 天明五年二月日彫同作」などがある。